カウント・ベイシー・オーケストラ(Count Basie Orchestra)
今は亡きアメリカ音楽界の巨匠=ウィリアム・カウント・ベイシー(1904〜1984)が生んだビッグバンド・ジャズの最高峰。ハートフルでウィットに富んだそのスイングするサウンドは独特の味があり、世界各国で多くのファンをつくってきた。
1936年、カンザス・シティの「リノ・クラブ」での演奏がラジオ放送され、それを有名なプロデューサーが聴いていたことがきっかけとなり、ベイシーの人気はアメリカ全土に浸透していった。音楽活動の拠点はアメリカ国内にとどまらず、世界各国をツアーし、イギリス王室からの招待公演や昭和天皇陛下への表敬演奏を行なうなど、ベイシー黄金時代を築いた。
代表曲である『ワン・オクロック・ジャンプ』や『ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド』は、当時の社交界の音楽であり、現在ではスタンダード・ジャズとして世界中で親しまれている。カウント・ベイシー・オーケストラは、2度の「栄光の殿堂入り」を果たし、カウント・ベイシーがこの世を去った1984年までに、15回ものグラミー賞の栄冠に輝いた。
ベイシー没後は、サド・ジョーンズやフランク・フォスターらがオーケストラの伝統とプライドを継承し、ツアー活動やアルバム制作を行なう。その後、グローバー・ミッチェルが約10年間にわたりリーダーを務め、グラミー賞を1997年、1998年と2年連続受賞するという快挙を成し遂げた。
2003年、ミッチェルが他界した後、ビル・ヒューズが受け継ぎ、2004年にはカウント・ベイシー生誕100年を迎えた。昨年,レイチャールズとの共演CD『Ray Charles & The Count Basie Orchestra』「愛さずにいられない」から「我が心のジョージア」までレイ往年のヒット・ナンバー全12曲で綴る、ファン必聴の一枚を発売した。今年になり、ドラムのブッチ・マイルスが脱退をし、1997年のグラミー賞受賞作品「ライブ・アット・マンチェスター・クラフツマンズ」で担当していた、ブライアン・グレースが参加。今年も、19名のトップ・アーティスト一人一人がベイシーの音楽理念を忠実に継承しながら、"ベイシーが創り上げたサウンド"というスタイルの本質を追求し続け、聴く人を幸せにしてくれるだろう。
半世紀にわたりベイシー楽団を支えた人格者
リーダー
ビル・ヒューズ William H."Bill"Hughes
1930年、テキサス州出身。独学でトロンボーンを習得し、ハワード音楽薬学科在学中より、ハワードシアターをはじめ、数多くの有名ホールに出演。1953年、伝説のサキソフォン奏者フランク・ウェスの推薦により、カウント・ベイシー・オーケストラに入団。
ヘンリー・コッカー、ベニー・パウエルと共にトロンボーン3管隊を組み、当時ジャズ雑誌の人気投票で上位ランキングを獲得するなど、最高のトロンボーン・セクションと評された。また17枚のグラミー賞受賞作品のうち、15作品でレコーディングに携わり、「パリの四月」、「シャイニー・ストッキングス」、「コーナー・ポケット」など数々の大ヒット作品を世に送り出した。
エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンなどの有名歌手ともアルバム制作やコンサートを数多く経験した。 総帥カウント・ベイシーと長期にわたり音楽生活を共にした数少ない後継者の一人である。
2003年、リーダーに就任。リーダーになってから、全国ツアーでの来日は、今回で3回目となる。
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