マンハッタン・ジャズ・クインテット・トリビア・コラム[2]
〜松田聖子の海外進出、デビット・マシューズが関わる〜
松田聖子が本格的に海外進出へ飛躍を試みることなった1990年に「SEIKO」で初の海外発売アルバムを出し、このアルバムには、マンハッタン・ジャズ・クインテットリーダーでピアニスト、デビット・マシューズがアレンジを務めた。
「SEIKO」は、NYのヒット・ファクトリー・スタジオでレコーディングされたが、ビリー・ジョエル等のバンドを従えての録音は、松田聖子にとっても大きな刺激となったと後になって伝わっている。
レコーディングが行われた1985年、松田聖子とCBSレコードとの間にレコード発売契約を交わした際、ワールドツアーの計画まで持ち上がった。アルバム完成後、NYを皮切りに、世界の主要国5、6カ国を回り、東京へ凱旋するというもので、各公演先では特別ゲストとして、ビリー・ジョエルやポールマッカートニー等大物ミュージシャンを迎えてジョイントライブの案まであったが結婚によって白紙になった。
アルバム「SEIKO」はその5年後海外発売され、オリコンアルバムチャートで最高位2位を記録し、30万枚を超える売上げを記録した。
今年、松田聖子の台湾発売アルバム「I’ll fall in love 愛的禮物」が、台湾音楽チャートで初登場第1位を獲得することになった。台湾発売アルバム(中国語歌唱)で1位を獲得することは、日本人アーティストとして初めての受賞だそうだ。
8月20日、松田聖子自身初の海外公演となる台湾コンサートでは、約5000人のファンが大集結。人気の高さを実証した。デビュー25周年での快挙に、松田聖子は「最初は不安でしたが、台湾の皆様に歌を聞いていただけて、応援していただけたんだなぁと思うと、本当にうれしいです。ありがとうございました」と喜びを表現した。
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