マンハッタン・ジャズ・クインテット・トリビア・コラム[1]
〜ハンディキャップをもったジャズマン達〜
1998年長野冬季オリンピックは、原田雅彦、舟木和喜、スキージャンプ陣が大活躍し、まだまだ記憶に新しい。その長野冬季オリンピック、プレ・イベント(ジャズフェスティバル)にて、MJQ=マンハッタン・ジャズ・クインテットが特別出演した。
その長野冬季オリンピックの直後に開催されたパラリンピックも、過去最大の規模で開催されたが、片手だけで10kmのクロスカントリーを完走した新田選手、両上肢がなくストックを使わずに回転に出場した柳沢選手、小林深雪選手などは視覚障害者ながらバイアスロンに出場、先導しているガイドの声を頼りに滑り、ヘッドフォンからの電子音を頼りに射撃を行ったそうだ。そして10発中9発的中。金メダルであった。
ジャズの世界にも、ハンディキャップをもった一流のプレイヤーは多い。全盲のジャズ・ピアニスト、ジョージ・シアリング。映画『真夏の夜のジャズ』にも登場し、'50〜'60年代に世界中のジャズ・ファンを沸かせた。レニー・トリスターノも全盲のピアニストで、そのハンディをものともせず、独自の音楽理論を打ち立てジャズの歴史に名を残した。スティーヴィー・ワンダーも、レイ・チャールズも、全盲である。
幼い頃の事故のために片腕を失った、カール・パーキンス(ピアノ)は、右手が駆使したアルペジオを多用したバラードは圧巻。ホーレス・パーラン(ピアノ)は思うように指が開かないという機能障害があったが、「ブロック・コード」と呼ばれる叩きつけるような独特の演奏法を発案した。
管楽器奏者では、全盲のマルチ・リード奏者ローランド・カーク。2歳の時に事故に遭い失明。看護婦の投薬ミスであったと言われている。サックス3本を同時に口に銜え、鼻でフルートを吹く...そのあまりにも奇抜な演奏法から、当初「道化師」などと呼ばれた。
元々ジャズ・ピアニストだった、スキャットマン・ジョンは、幼少からことばがつまる吃音だった。彼は吃音を逆手にとった「スキャット」という独自の歌唱法として確立し、「スキャットマンズ・ワールド」で全ヨーロッパ・チャートで1位を獲得、日本での売り上げが240万枚を突破する大ヒットとなった。
ハンディキャップが彼らにジャズの才能をめばえさせ、ジャズは彼らによる新しい演奏法や歌唱法を取り入れていった。
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